わたしらしく生きる、あなたらしく生きる

コンプレックス過多の元引きこもりネガティブヲタクが過去の経験を元にありのままの自分を受け入れられるようになった考え方や出来事を公開?

認められたいともがくあなたへ。

 

「認められたい」

そう思ってしまうことってみんなある。
 
頑張っていたり
結果を出したり
人に優しくしたり
辛くても我慢したり
悲しくても表に出さなかったり
具合が悪いのに無理したり
 
そういう行動をした時って
誰かに見て欲しいし
誰かに褒めて欲しいし
「すごいね」って言われたい。
 
わたしも昔はそうだった。
 
勉強してテストでいい点数をとったり
スポーツで人より上手くできたり
誰かよりも上手く歌が歌えたり
通知表で10をとったり
病院で痛い治療を受けても泣かなかったり。
 
そしたら、
お父さんやお母さんが喜んでくれて「よく出来たね、偉いね」って言ってくれたから。
 
褒められると嬉しいから、もっともっと褒められたくて、たくさん頑張ろうって思って。
 
いい事をしたり、人より上手にできると褒められる。
 
悪い事をしたら怒られるし、誰かに何かで劣れば落胆させてしまう。
 
だからわたしは、褒められるように何でも頑張らなきゃいけないんだ、いい子でいなきゃいけないんだって思い込んでた。
 
だけど、頑張り続けるのには限界がある。人間だから、頑張れないときだってある。自分を偽って365日「人に認められるいい子」を演じきることなんて出来なかった。
 
じゃあ、そんな頑張れないときのわたしには価値がないの?
 
いい結果を残せなかったら
誰かの期待に応えられなかったら
わたしの存在は無意味なの?
 
価値がないなんて思いたくない。
意味のある存在だと信じたい。
 
だからみんな、認めてくれる人に依存してしまう。認めてくれる人がいれば、自分の存在を否定せずにいられるから。
 
だけどそれって、結局人の価値観で人生を生きることになってしまう。
だって人の善悪や好悪の範囲の中で生きていなきゃ、自分の存在は認めてもらえないから。
 
でも、わたしたちは本当に誰かに認めてもらえなきゃ生きられない生き物なの?
 
わたしの好きなことを批判する人は、わたしの人生の責任を負ってくれる人?
 
わたしの夢を否定する人は、わたしの未来を保障してくれる人?
 
本当に大切にしなきゃいけないのって、誰かの意見や批評じゃなくて、自分の「こうしたい!」っていう心からの本音。
 
わたし以外に、わたしの人生を背負ってくれる人はいない。
誰かに認められたって、その人がその後のわたしの人生を面倒見てくれるわけじゃない。
 
誰かの目を気にしていたら、結局それは誰かの人生。知らないうちに誘導されて、知らないうちに望まない場所に連れて行かれてる。
 
認められたいって、そういうこと。
 
だからまず、自分で自分を認めてあげて。
 
まだ何もできない赤ちゃんだった頃、それでも無償の愛を注いでくれた家族がいた。
それこそが本来の「わたしの価値」。
生きているだけで、そこに存在してくれるだけで価値がある。
それは例外なく、すべての人に当てはまること。
わたしも、あなたも、あなたの大切な人も、はたまた大嫌いなあの人も。
 
何もできない赤ちゃんに価値はない?
 
「そんなことない!!」って思えるあなたは、自分のことだって認めてあげられるはず。
 
誰に何を指図されるでもなく、わたしやあなたの心臓は生まれてから今日まで動き続けてる。
 
不思議だよね。
生きたいって強く願っている訳でも、生きる為に頑張って心臓を鍛えてるわけでもない。
ただ、私たちの心臓は、自分の意思とは関係なく、昨日も今日も、明日だってドクンドクンて動き続けてる。
 
そう思うと、何か大きな力を感じない?生かされているんだなぁって。
 
神様か、宇宙か、目に見えないからわからないけど。
この地球に生きることを許されている一員なんだって感じない?
 
空気だって電波だって目に見えないけどそこにある。だったらこの不思議な力も、信じてみたいなぁとわたしは思う。
 
この世界に生かされているわたしたち。めちゃくちゃ価値のあることだと思う。
そんな価値のある自分を知って、自分自身を認めてあげられたら、他の人の評価って必要かなぁ?
 
この世界に生きることを認められたのであれば、どこかの誰かにわたしの存在を認められなくたっていい。
 
認められなきゃ死んじゃうなんてこともない。
居場所はいつだって、自分自身で決められるんだから。
 
認められるってことを手放したら、人の目なんて気にしなくなる。
人の目を気にしなくなったら、全部自分で決められる。
全部自分で決められるから、人の所為には出来なくなる。
 
だけどそれって、めちゃくちゃ自由。
自分で責任を持つことができれば、何をしたっていいんだから。
 
誰の責任にもできないのが怖くて長年踏み出せなかったわたしだけど、自分で考えて自分で決めたら、世界がめちゃくちゃ面白く感じた。
 
ビビるし、ひよるし、めんどくさいこともある。泣くこともあるし、傷つくことももちろんある。間違えたかなって落ち込むこともあるし、ガツンって衝撃的な出来事もやってきたりする。
 
でも、それが全部わたしの経験になって、だんだん人生の選択に迷いがなくなってくる。要らないものがそぎ落ちて、本当に大切なものって何なのか、ちゃんと自分で見極められる。
 
自分の人生をちゃんと自分で選んで歩んでる感がリアルに感じられる。
 
そりゃ認めてもらえたら嬉しい。
誰かに褒められたら心がふわふわする。
 
そんな気持ちだって、別に邪険にしなくてもいい。
 
ただ、その評価をもらう為に何かをしようとするのを止めること。
自分が「こうしたい!」って決めて行動を起こした先に、もしかしたら誰かの役に立てて、ありがとうって言われたら、素直に受け取る心の余裕を持ってたらいい。
 
認められようとしないで。
認められたいと思っていた自分を受け入れてあげて。
自分を受け入れられていなかった自分を許してあげて。
そして、もうすでに自分は世界に受け入れられていることを感じて。
じっくりゆっくり、少しずつでいいから、自分の本音を見つめてあげて。
 
そしたらきっと、
見える世界が変わってくるはず。
 
お父さんとお母さんは、ありのままのわたしを大切にしてくれていた。
愛してくれていた。
認めてくれていた。
それを受け取れていなかったのは、頑張らないといい子でいないと認めてもらえないっていう思い込みのフィルターを通して親を見ていたわたしの心。
 
あなたの心には、どんなフィルターがかかってる?
 
それを外した時には、どんな世界がみえてくるんだろうね。
 
わたしも、まだまだ心にいろんなフィルターがかかっているんだろうなぁ。
それを探す毎日が、今はすごく楽しいです。
 
みんなも楽しみながら、自分と向き合ってみてね。
 
わたしのこと気になる〜〜
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2016年4月14日
Rika