わたしはわたし、あなたはあなた。
わたしよりあの子の方が可愛い
わたしよりあの子の方が綺麗
わたしよりあの子の方が頭がいい
わたしよりあの子の方がセンスがいい
わたしよりあの子の方がスタイルがいい
わたしよりあの子の方がモテる
わたしよりあの子の方が要領がいい
わたしよりあの子の方が人付き合いがうまい
「わたしよりあの子の方が…」
自分と人とを比べてしまう時って
自分のできていない部分とか
好きじゃない部分とか
満足していない部分とか
もっとこうしたいって部分とか
まだまだ足りないって思う部分が
なんでかはっきり見えちゃう。
人と比べて自分に足りないところを見つけちゃった時の劣等感て半端じゃない。
だからわたしはダメなんだって
責めて責めてとことん責めて
どんどん自分を追い込んで
そうやってみんな、たくさんのコンプレックスを自ら抱えて自分を嫌いになっていくんだよね。
突然ですが!
わたしには、2人の姉がいます。
とても活発で、明るくて、いつも周りにはたくさんの友達がいるようなアクティブな姉たち。夜も帰ってくることなく遊び回って、お父さんとお母さんによく怒られていたりして。
そんな姉たちには物心ついた頃から彼氏も途切れることなく、しかもその彼氏がみんなイケメンでね。
そしてそんな姉を見て育った末っ子のわたしはといえば、自由奔放な姉がすごくすごく羨ましかった。
だけどお父さんとお母さんには心配をかけたくないし、何より姉たちよりもいい子でいることで自分の居場所を確立したかったんだろうね。
真面目で、親の言うことをきく、悪さもしない、ごくごく普通の一般的で優良な娘になっていった。
そしてそれと同じ頃、わたしには長年悩まされることになるひどい肌荒れが発症していた。
そしたら、どうなったか。
いつの間にやら引きこもりになってた。笑
アクティブに好きなことをして飛び回る姉たち。
いつもすごく楽しそう。
周りにはたくさんの友達。
オシャレをしてメイクをして。
隣にはイケメンの彼氏。笑
羨ましかった。
すごくすごく羨ましかった。
でも、わたしはそこで
「お姉ちゃんはわたしよりも○○だからあんな風にできるんだ。わたしには出来ない。だってわたしには無いものをお姉ちゃんはたくさん持ってるから。」
って思ってしまった。
羨ましいのに
本当はそうなりたいのに
そうなれない理由を
「お姉ちゃんにはあって、わたしにはないから」ってことにして諦めた。
どうせお姉ちゃんみたいにはなれないんだから、もういいや。
憧れているところに行こうとするのは全部諦めよう。
そして踏み入れた、引きこもりへの道。
そんなわたしに当然実写化イケメンの彼氏なんて出来るわけもなく、2次元という名の裏切りのない世界にのめり込む日々。まぁイケメンはいっぱいいたよ。お付き合いだってしたよ。画面を挟んでね。笑
その時は楽しかったし、ヲタクという誇り高き人種になれたのも今となっては喜ばしいこと。声優という天に与えられし美声を持つ方々との出会いもこの経験があってこそ。人生意味のないことなんて何一つないよね。この時期があったことには本当に感謝。
だけど、そんな楽しい日々を送っていたところで、わたしはわたしのことを嫌いなままだった。
根本的な部分は何一つ変わっていなかったから。
その時のわたしの根本的な選択の基準は「誰かと比べてどうか」。
お姉ちゃんと比べて、わたしにはない部分を見つめ続けたから、いつも何かしら足りなくて、その足りないを言い訳にしてなんでも諦め続けた。
今思えば、そうやって足りない部分を見つけてはそれを理由に諦めることが、わたしにとっては幸せだったんだと思う。
だって、挑戦したり努力したりしなくて済むんだから。
楽をして頑張らなくていい方を選んでた。
人と比べることって苦しくて辛い。
周りの人がみーんな敵になるから。
それなのに、なんで比べちゃうのか。
きっとみんな、自分の居場所が欲しいんだと思う。安心したいんだよね。
誰かよりも優れていれば、そこには自分の居場所が出来る。
優越感っていう、一時的な安心感。
だけど「誰か」っていう対象がいる限り、その誰かより上にいるために頑張らなきゃいけない。
例えその「誰か」に勝ったって、また別の「誰か」が自分の存在を脅かせば、いつになったって心は休まらない。
一瞬の優越感を得る為に、永遠に誰かと競争し続けなきゃいけない。
そんなに苦しくて辛い思いをしながら人と自分を比べた先にあるのは、幸せと不幸せ、どっちかな?
わたしは人と自分を比べ続けた過去を思うと、そこにはあるのは明らかに不幸だった。
いつまでたっても終わりの見えない階段を登ってるみたいな、果てしない絶望感っていうのかな。
ほんの少し誰かより優れていたって、狭い世界でのどんぐりの背比べ。
まさに「井の中の蛙大海を知らず」
追いつきたくても追いつけない背中。
追いついたところで上には更に上がいる。
上を見れば終わりなんてない。
人と自分を比べることをやめなければ、どこまでいっても打ちのめされるばっかり。
しかも「やった!わたしが一番だ!」って思ったって、他の人から見れば一番じゃないかもしれない。
だって、立場や捉え方は人それぞれだから。
「誰が見たって一番」なんてものは、この世の中にないのかもしれない。
だとしたら、わたしが本当に求めるものってなんなんだろう?
誰かよりも勝ること?
人と自分を比べた先にある不幸?
苦しみの末に勝ち取ったほんの一瞬の優越感?
考えれば考えるほど、人と自分を比べることの無意味さに気付かされる。
わたしはお姉ちゃんにはなれない。
お姉ちゃんが持っているものを持っていないかもしれない。
だけど、もしもわたしがお姉ちゃんと同じスペックで生きていたら、果たしてわたしである必要性って?
きっと、人間みんな同じスペックで生きていたら、人と違う部分を必死で探すと思う。それが人より良いとか悪いとかそんなの関係なく、とにかく誰かと違うところを探すはず。
周りと全部同じだったら、わたしにしかないものを見つけようとするでしょ?
だから学校の制服や体操着、自分なりにアレンジして着てたりしたんでしょ?
黒い髪の毛を染めて、メイクをして、自分なりのオシャレを楽しんでたでしょ?
人が持っているわたしより優れている部分じゃなくて、わたしが持ってる自分らしさに目を向けようよ。
あの子の方が出来ることじゃなくて、わたしじゃなきゃ出来ないことをやろうよ。
あの子と比べてどうかじゃなくて、わたしは本当はどうしたいのかを考えようよ。
そうして自分と向き合って見つけたこたえは、きっと誰にも負けないくらい輝いてるよ。
どんなに望んだって他の誰かにはなれないけど、
同じように他の誰も、どんなに望んだってわたしにはなれない。
もともと全く別の人間。
他の誰とも同じように作らなかったのは、神様がわたしにしか果たすことのできない使命を与えてくれたから。
神様、わたしにしか歩めない道を与えてくれて、本当にありがとうございます。
これを読んでくれたあなたにも、必ずあなただけの使命がある。
今回の人生がその使命を見つける旅だったとしたなら、なんかめちゃくちゃワクワクしない?
さて、旅の続きを楽しみましょ*(^o^)/*
2016年4月15日
Rika
認められたいともがくあなたへ。
「認められたい」
そう思ってしまうことってみんなある。
頑張っていたり
結果を出したり
人に優しくしたり
辛くても我慢したり
悲しくても表に出さなかったり
具合が悪いのに無理したり
そういう行動をした時って
誰かに見て欲しいし
誰かに褒めて欲しいし
「すごいね」って言われたい。
わたしも昔はそうだった。
勉強してテストでいい点数をとったり
スポーツで人より上手くできたり
誰かよりも上手く歌が歌えたり
通知表で10をとったり
病院で痛い治療を受けても泣かなかったり。
そしたら、
お父さんやお母さんが喜んでくれて「よく出来たね、偉いね」って言ってくれたから。
褒められると嬉しいから、もっともっと褒められたくて、たくさん頑張ろうって思って。
いい事をしたり、人より上手にできると褒められる。
悪い事をしたら怒られるし、誰かに何かで劣れば落胆させてしまう。
だからわたしは、褒められるように何でも頑張らなきゃいけないんだ、いい子でいなきゃいけないんだって思い込んでた。
だけど、頑張り続けるのには限界がある。人間だから、頑張れないときだってある。自分を偽って365日「人に認められるいい子」を演じきることなんて出来なかった。
じゃあ、そんな頑張れないときのわたしには価値がないの?
いい結果を残せなかったら
誰かの期待に応えられなかったら
わたしの存在は無意味なの?
価値がないなんて思いたくない。
意味のある存在だと信じたい。
だからみんな、認めてくれる人に依存してしまう。認めてくれる人がいれば、自分の存在を否定せずにいられるから。
だけどそれって、結局人の価値観で人生を生きることになってしまう。
だって人の善悪や好悪の範囲の中で生きていなきゃ、自分の存在は認めてもらえないから。
でも、わたしたちは本当に誰かに認めてもらえなきゃ生きられない生き物なの?
わたしの好きなことを批判する人は、わたしの人生の責任を負ってくれる人?
わたしの夢を否定する人は、わたしの未来を保障してくれる人?
本当に大切にしなきゃいけないのって、誰かの意見や批評じゃなくて、自分の「こうしたい!」っていう心からの本音。
わたし以外に、わたしの人生を背負ってくれる人はいない。
誰かに認められたって、その人がその後のわたしの人生を面倒見てくれるわけじゃない。
誰かの目を気にしていたら、結局それは誰かの人生。知らないうちに誘導されて、知らないうちに望まない場所に連れて行かれてる。
認められたいって、そういうこと。
だからまず、自分で自分を認めてあげて。
まだ何もできない赤ちゃんだった頃、それでも無償の愛を注いでくれた家族がいた。
それこそが本来の「わたしの価値」。
生きているだけで、そこに存在してくれるだけで価値がある。
それは例外なく、すべての人に当てはまること。
わたしも、あなたも、あなたの大切な人も、はたまた大嫌いなあの人も。
何もできない赤ちゃんに価値はない?
「そんなことない!!」って思えるあなたは、自分のことだって認めてあげられるはず。
誰に何を指図されるでもなく、わたしやあなたの心臓は生まれてから今日まで動き続けてる。
不思議だよね。
生きたいって強く願っている訳でも、生きる為に頑張って心臓を鍛えてるわけでもない。
ただ、私たちの心臓は、自分の意思とは関係なく、昨日も今日も、明日だってドクンドクンて動き続けてる。
そう思うと、何か大きな力を感じない?生かされているんだなぁって。
神様か、宇宙か、目に見えないからわからないけど。
この地球に生きることを許されている一員なんだって感じない?
空気だって電波だって目に見えないけどそこにある。だったらこの不思議な力も、信じてみたいなぁとわたしは思う。
この世界に生かされているわたしたち。めちゃくちゃ価値のあることだと思う。
そんな価値のある自分を知って、自分自身を認めてあげられたら、他の人の評価って必要かなぁ?
この世界に生きることを認められたのであれば、どこかの誰かにわたしの存在を認められなくたっていい。
認められなきゃ死んじゃうなんてこともない。
居場所はいつだって、自分自身で決められるんだから。
認められるってことを手放したら、人の目なんて気にしなくなる。
人の目を気にしなくなったら、全部自分で決められる。
全部自分で決められるから、人の所為には出来なくなる。
だけどそれって、めちゃくちゃ自由。
自分で責任を持つことができれば、何をしたっていいんだから。
誰の責任にもできないのが怖くて長年踏み出せなかったわたしだけど、自分で考えて自分で決めたら、世界がめちゃくちゃ面白く感じた。
ビビるし、ひよるし、めんどくさいこともある。泣くこともあるし、傷つくことももちろんある。間違えたかなって落ち込むこともあるし、ガツンって衝撃的な出来事もやってきたりする。
でも、それが全部わたしの経験になって、だんだん人生の選択に迷いがなくなってくる。要らないものがそぎ落ちて、本当に大切なものって何なのか、ちゃんと自分で見極められる。
自分の人生をちゃんと自分で選んで歩んでる感がリアルに感じられる。
そりゃ認めてもらえたら嬉しい。
誰かに褒められたら心がふわふわする。
そんな気持ちだって、別に邪険にしなくてもいい。
ただ、その評価をもらう為に何かをしようとするのを止めること。
自分が「こうしたい!」って決めて行動を起こした先に、もしかしたら誰かの役に立てて、ありがとうって言われたら、素直に受け取る心の余裕を持ってたらいい。
認められようとしないで。
認められたいと思っていた自分を受け入れてあげて。
自分を受け入れられていなかった自分を許してあげて。
そして、もうすでに自分は世界に受け入れられていることを感じて。
じっくりゆっくり、少しずつでいいから、自分の本音を見つめてあげて。
そしたらきっと、
見える世界が変わってくるはず。
お父さんとお母さんは、ありのままのわたしを大切にしてくれていた。
愛してくれていた。
認めてくれていた。
それを受け取れていなかったのは、頑張らないといい子でいないと認めてもらえないっていう思い込みのフィルターを通して親を見ていたわたしの心。
あなたの心には、どんなフィルターがかかってる?
それを外した時には、どんな世界がみえてくるんだろうね。
わたしも、まだまだ心にいろんなフィルターがかかっているんだろうなぁ。
それを探す毎日が、今はすごく楽しいです。
みんなも楽しみながら、自分と向き合ってみてね。
2016年4月14日
Rika
変わりたいと願うあなたへ。
はるばるようこそおいでませ!
*自分に自信が持てない
*自分が嫌い
*人と自分を比べてしまう
*すぐに自分を責めてしまう
*人を信頼できない
*誰にも本音を話せない
*人と深く関わるのが怖い
*人の目を気にしてしまう
*人に嫌われるのが怖い
*やりたいことがみつからない
*やりたいことに踏み出せない
etc…
上記のような悩みを持ち、
そんな自分を「変えたい!」と強く願いながらも、なかなか変われない、変わるキッカケが掴めない、いろいろやってみたけどなかなか人生が好転しない………(´;ω;`)
そんな女性(男の子もオケーイだぜっ!)に向けて、ほんの少しヒントを贈ってあげられたらいいなぁという想いではじめてみました。
なんたって、
上に書いたことはぜんぶぜんぶ、そのまんま過去のわたしであり、実際にわたしが乗り越えた壁であり、わたしの人生において大切なことを教えてくれた神様からのプレゼントたちだから。
わたしRikaは、どこにでもいるごくごく普通の女の子でした。
そんな普通な自分がコンプレックスだったし、普通なわたし以外は、どんな人もみんな神様に愛されていて何かしらの才能を持っているように見えた。
そんな普通な自分が嫌で、いつも誰かと自分を比べて秀でているところを探して、自分よりすごい人を見つけては自分を責めて、その人の欠点を探してた。
そしたらいつの間にか、周りには敵しかいなかった。
認めてくれる人を探して、認めてくれない人を憎んで、みんなを疑って、信じてもらえないと嘆いて、一人ぼっちだといじけて。どうせわたしは嫌われてるんだ。誰にも必要とされていないんだ。
夢なんて叶うわけない。
こんなわたしが叶えられるわけがない。
だったら最初から諦めたほうがいい。
夢なんて見なければいい。
わたしには無理なんだから。
…なにこれ。
今考えるとこの女、スーパーネガティブめんどくさい。笑
だけどこんな思いを抱えながら、わたしRikaは20数年間生きてきたわけです。よく鬱にならなかったわ!(ぶっちゃけ鬱にもなりかけたw)
だけどね、人って変われる。
わたしは、本当は変わりたいって心の奥の奥の見えないところでずーっと思ってた。
それを見ないふりしてただけ。
変わるのが怖かった。
というか、こんなわたしが変われるのかわからないから、本音と向き合うのが怖かった。
だけど、向き合った。
それは、変わらないでいることが死ぬほど苦しいとわかったから。
そしたら、変わったの。
ぱーって。
見えないものが見えるようになった。
(幽霊とか小さいおじさんとかじゃなくてね。笑)
そこにあるのに、フィルターが掛かって見えてなかった本当に大切なもの。
それが何か、どんかものか、
それは自分で見て聴いて感じて欲しい。
心のどこ奥底で変わりたいと願っている人、変わりたいけど誰にも言えずに苦しんでいる人、変われる自分を信じられない人…
まずは、わたしのブログを読んで、自分だけじゃないことを知ってください(o^^o)
そして少しずつで大丈夫だから、自分の心の中にある想いをすくい上げて、目を合わせて、抱きしめてあげられるようになっていきましょ♪
大丈夫、わたしは20年以上気づいてあげられませんでしたが、ヒントを与えられてからそれが出来るようになるまでにはたったの半年くらいでした!
その間、
苦しい修行をしたわけでもなく
身体を鍛え上げたわけでもなく
精神と時の部屋に入ったわけでもなく
怪しい団体に弟子入りしたわけでもなく
7日間断食合宿に参加したわけでもなく
生死の淵を彷徨ったわけでもありません。
難しいことはなに一つしてない。
だけど、変われた。
忘れっぽくて
めんどくさがりで
飽き性で
気分の浮き沈みが激しいわたし。
そんなわたしができたんだから
誰でもできるわけです。笑
そんな感じで
誰かの人生をさらに良くするお手伝い、変わりたいと願うあなたが変化するためのヒントを、少しずつここにしたためてゆこうと思いまする(`・ω・´)
とゆうことで!
よろしくお願いします💋✨